心療内科で見た絶望と失望、オレはそれを財産に替える為に生きている。

2年前、一度だけ心療内科へ行った。

 

 

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詳細経緯は割愛する。長くなるし、書けないし書きたくもないから。

 

 

 

受付で保険証を渡して待合室のベンチに腰かけた。

 

自分が想像していた以上に人が多くて、1時間位待ったと思う。

 

テレビの音がうるさくて仕方なかった。別に音量がどーとかっていうより、単純にノイズとしてしか認知できなくてほんとに苦痛でしかない。

かといってスマホいじったり本読んだりする気持ちになれず、仕方なく病院の入り口の自動ドアから見える風景を眺めていた。

 

 

その心療内科の周りはごく普通の一軒家が立ち並び、ごく普通の街並みが自動ドアの向こうに見えていた。

 

 

病院の目の前にある一軒家があった。ベランダには洗濯物が風に揺れて、布団が暖かい日差しを浴びていた。

 

ドアの前には小さな自転車が。幼い子供がいるんだろう。

 

その家の前を、賢そうな柴犬を連れておばさんがゆったり散歩していた。

 

 

 

ごく普通の家、ごく普通の光景、ごく普通の日常が、自動ドアの向こうに存在している。オレも知っているはずの、知っていたはずの世界。

 

でもその時、オレの中で信じられない言葉が生まれた。

 

「自分には二度と縁のない世界だ」

 

自動ドアを挟んでたった10m先の日常が、当時のオレにはまるで異世界のモノ、あるいは檻の向こうのモノであるかのように感じてしまった。

 

 

それに気が付いた時、絶望し泣きそうになったがタイミングが良いのか悪いのか名前を呼ばれた。

 

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気が付いたら家にいた。日当たりの悪い部屋で、窓を開けないと外が快晴だという事を忘れてしまう。

 

ベッドに横になってただただボーっとしていた。

 

心療内科で話した事はあまり記憶にない。克明に覚えているのは、先生と話し始めて5分で「この人には何も話せないし、オレの話を聞いてくれないだろうな」という失望感を感じた事だ。

 

形の上では話はしたし、話を聞かされた。ある種の人生訓まで聞かされた気もするが覚えていない。

 

気持ちが悪くて仕方なかった。

話してるのに吐き出せない、吐き出させてもらえない。

聞いているのに入ってこないし、入れたくもない。

 

出すのも入るのも存在しない、ただの「澱み」しかなかった。

 

それからしばらくして環境を変えた。

 

少しずつだけど気持ちが晴れてきて、澱みも小さくなって心地い流れが生活に生まれる様になっていった。

 

今でも抱えてる問題はあるけど、誰にでもあるようなありふれた「日常」からうまれる鬱陶しくも、ある種の幸福でもある悩みばかりだ。

 

でも、少しずつ流れている。

 

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オレは正直夢が無い。というかどうでもいいとすら思う。とにかく「今」に没頭して、澱みの生まれない生き方がしたいと思うだけ。

 

あの日、自動ドアの向こうに見えた世界を別次元の産物だと認識してしまった絶望を

 

あの日、自分の中に溜め込んだ汚泥と外から注がれる無機質な正しさの澱みの中で生まれた失望を

 

オレは財産に替えたい。

 

何かを失った奴に、自分の知っている世界は取り戻せるし、なんだったら失ってもいない事を証明したい。

 

目の前が真っ暗の中で生きている奴の言葉に静かに耳を傾け、裁かず、説かず、澱みを聴き流せる懐の広さを持ちたい。

 

 

その為には自分が心地いい流れを纏うような生き方をしている必要がある。

 

好きな事で生きていく。

 

っていう言葉をよく耳にするけども、オレにとってのその言葉は

 

心地いい流れを生み出していく。

 

と解釈している。

 

 

自分にはそのために何が出来るのか。

まだ答えははっきり分からないが、とりあえず暑いからモナ王食って寝よう。

 

また明日考えるよ。

 

以上、ムラキでした。